~変革の時~
若手行員との勉強会開催
本日10時より、弊社において某金融機関の若手行員に対する勉強会を開催した。今回は、渋沢栄一氏の著書「論語と算盤」の内容についてマインドマップを用いて説明し、その後、討議を行った。
渋沢栄一氏は、尊王攘夷の志士として活躍した後、幕臣としてフランスに渡り、帰国後に明治維新の官僚となっている。実業家としては王子製紙、東京海上保険など470社もの会社設立の中心的な役割を果たし、日本資本主義の父と呼ばれる。明治維新後の激変する日本経済の中で活躍されており、その考え方や理念及び行動原理は、これから起こるであろう我が国のパラダイム転換の中において取るべき思考や行動の指針となるのは間違いない。
同氏は、論語と算盤は、はなはだ遠くて近いものと述べている。論語は、道徳の手本とすべき最も重要な教えであり、実業は多くの人にモノが行きわたるようにする生業であるが、道理と事実と利益は必ず一致するのである。即ち、実業家には士魂商才が必要であり、武士の精神と商人の才覚をあわせ持つこと、つまり商才も道徳を根底とすべきだと主張している。論語は社会で生きていくための絶対の教えで、すべての人に共通する実用的な教訓であり、それを目安に商売をやるべきである。
時期を待つ必要があり、世の中は原因と結果の関係が成り立っている。ある一定の時期に達するまでは成り行きを変えることなど人の力ではとてもできない。気長にチャンスが来るのを待つ忍耐も必要である。また、逆境こそ真価が試されるが、人の作った逆境は、ほとんど自分がやったことの結果であり、とにかく自分を反省して、悪い点を改めるしかなく、本気で頑張ればどうにかなる。人にはどうしようもない逆境については、自分の本分だと覚悟を決めるのが唯一の策であり、どんなに頭を悩ませても天命であるから仕方がない。天命に身を委ね、腰を据えて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けず勉強するしかない。災いの多くは、得意なときに萌している。得意なときも気持ちを緩めず、失意のときだからといって落胆せず、いつも同じ心構えで道理を守り続けていくことが大切である。困難や苦痛をやり遂げることで名声は生まれてくるのであり、大きなことと些細なことへの緻密な心掛けを持たないと、思いもよらない失敗に見舞われやすい。
現在において正しいことを行う。置かれている環境が悪くても関係ない。その人に手腕があり、優れた頭脳があれば世間は放っておかない。与えられた仕事に不満を言わず、集中すること、そのときの全生命をかけて、勤勉に、忠実に、誠意を込めて完全にやり遂げるべきである。大きな志(一生かけてやり遂げるもの)と小さな志の調和が大事であり、最初に志を立てるときに慎重に考えをめぐらせ、最後までやり遂げられる覚悟が必要である。
正しい道をあくまで進んで行こうとすれば、争いを避けることは絶対にできない。いかに人格が円満でも、どこかに角がなければならない。常識とはどのようなものなのか。何かをするとき極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものであり、智、情、意の3つのバランスを保って、均等に成長したものである。智とは知恵、情は一種の緩和剤、意とは強い意志を指す。
習慣の感染しやすさと広まっていく力を重視すべきである。習慣とは人の普段の振る舞いが積み重なって、身に染み付いたものであり、自分の心の働きに対しても影響していき、最終的に人格にも影響する。良い習慣をもてば善人になり、悪い習慣をもてば悪人になる。習慣は他人にも感染する。少年時代の習慣が人生に大きく影響を与えるが、強い信念があれば習慣は変えることができる。
振る舞いが機敏で忠実、人から信用されるものであれば、その人は成功する。志だけでなく、行動につなげなければならない。人生は努力にあり勉強家であるべきで、普段から勉強を継続しなければならない。勉強したことを実践につなげることが大事であり、口ばかりで実践できないものは駄目だ。正しい立場に近づき、間違った立場から遠ざかる道は、是非の判断基準を持つことである。そのためには、原則的・長期的視野で判断できるよう意志の鍛錬が必要であり、意志の鍛錬には常識が必要だ。
商売は社会のためになる道徳に基づいていないと、決して長く続くものではない。自分の利益にさえなればよいという考え方では駄目で、道理と欲望のバランスが重要である。まっとうな生き方にかなった富や地位、手柄や名声は進んで手に入れるべきである。また、貧しさを防ぐために真っ先に必要なものは、富を手にするために社会から助けてもらっていることと、この恩恵をお返しするという意味で、貧しい人を救うための事業を行うのは当然の義務であるという認識である。
熱い真心が必要であり、自分のやるべきことに深い趣味をもって努力すれば、心から湧き出る理想や思いの一部分くらいは叶うものである。道徳は、科学の進歩のようには変化するものではなく普遍的なものである。また、人格の基準、人の真価というのは簡単に判定されるべきものではない。富や地位、名誉の基となった結果は二の次にする。その人が社会のために尽くそうとした精神と効果によって評価は行われるべきである。自分を磨くのは理屈ではない。実際に行うべきものであり、現実の中での努力と勤勉によって知恵や道徳を完璧にしていくことである。精神面の鍛錬に力を入れつつ、知識や見識を磨き上げていくことである。自分を磨くことは、理想の人物や立派な人間に近づけるよう少しずつ努力し、精神、知恵や知識、身体も行いもみな向上するよう鍛錬することであり、挫折せずに続けられれば理想の人物レベルに達することができる。つまり、最も必要なことは人格を磨くことである。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした豊かさや地位でなければ完全な成功とはいえない。